第1回:そもそも医療におけるリアルワールドデータとは
本連載は、製薬企業で働く方々に、「リアルワールドデータ(RWD)」とは何たるか?を易しく学んでいただき、データドリブンな業務プロセスを実現し、そして臨床現場や患者の目線に立つことの重要性をご理解いただくことを目的としています。
全10回前後の連載を予定しており、序盤では、リアルワールドデータの定義・種類・活用に至るまでといった、いわゆる総論的なお話をさせていただきます。中盤では、リアルワールドデータの中でも、弊社のメインアセットであるレセプトデータに焦点をおき、製薬企業の各部門でどのように活用する余地があるのか、
業界のトレンドと併せてお伝えしていきたいと思います。
最後に、リアルワールドデータに対する理解をいっそう深めていくための手段、そしてリアルワールドデータの活用が目的化しないよう、患者中心の心構えについて僭越ながらコメントさせていただく予定です。長期間にわたりますが、一通りお読みいただくなかで、読者の皆さんの理解や思考が少しでも整理され、明日からの業務が変化していく一助となれば幸いです。
リアルワールドデータの定義
はやり言葉のごとくカジュアルに使われがちな“リアルワールドデータ”という表現ですが、それが指すものを明確に意識して使われるケースは少ないのではないでしょうか。それゆえに、ふとした瞬間にわきあがるのが、「あれ?実際どういった定義なのだろうか?」という疑問です。
結論として、巷の見解を眺めるかぎり、世界的にコンセンサスの得られた定義はない、というのが実態のようです。使う人の立場や目的によって、カテゴリーの括り方やカバーする範囲がまちまちである、ということですね。
とはいえ、何の拠りどころもないのは困る、と思われる方もいるのでは。そのような方のため、また、本連載の出発点として、4つの団体による参考情報をとりあげます。おそらく実務的に触れることは少ないはずですが、リアルワールドデータへの理解を深める一歩目として、大きな考え方を押さえておくと良いでしょう。
① ICHによる言及(1)
ICH(医薬品規制調和国際会議)では、規制当局に提出する臨床データの生成に関する国際ガイドラインを策定しています。2017年、そのガイドライン(ICH GCP;E6)の改訂向けた議論の中で、より幅広いデータソースに対応すべきとの文脈で、リアルワールドデータについても触れられました。大きく2種類の枠組みで語られており、一つは患者レジストリといわれる、統一フォームで収集された、特異的な疾患等に関する観察データ。もう一つは、電子健康記録(EHR:Electronic Health Records)という呼び方もできるもので、電子カルテの内容を含む診療情報や保険請求記録など、非統一フォームで収集されたデータ、という分けかたで記述されています。
② 米国FDAによる言及(2)
FDA(米国食品医薬品局)からも、医薬品開発における一層のデータ活用の加速を考慮したフレームワークが公表されています。“Real-World Data (RWD) are data relating to patient health status and/or the delivery of health care routinely collected from a variety of sources.” という表現でデータを定義したうえで、その具体例として、EHR、診療報酬の請求・支払に関する情報、医薬品や疾患のレジストリ、家庭環境における患者報告データ、モバイルデバイスで収集されたデータなどを挙げています。先述のICHの言及より少し広範であり、かつ、分けかたも若干異なるように映りますね。
③ 欧州EMAによる言及(3)
EMA( 欧州医薬品庁) の定義もまた、ICHやFDAとは異なるもので、次のように記述されています。Real-world data are defined as “routinely collected data relating to a patient’s health status or the delivery of health care from a variety of sources other than traditional clinical trials.”。臨床試験を引き合いに出している点が特徴的であり、かつ、定期的に収集されるという概念も加えられています。主なソースとしては、EHR、保険請求情報、処方情報、患者登録などを挙げており、ウェアラブルやアプリを介したデータも定義に組み込まれつつあると述べています。
④製薬協による言及(4)
国際的な考え方だけでなく、日本国内での議論を理解することも重要です。製薬協の医薬品評価委員会、臨床評価部会2019年度タスクフォースでは、FDAと同様、医薬品開発におけるリアルワールドデータの活用促進を目的とした検討がなされています。国内製薬企業でリアルワールドデータに携わる方であれば、ぜひ一度は見ておきたいものです。これによれば、製薬企業が活用を検討したソースとして5種類のデータを挙げており、レセプト、EMR(Electronic Medical Record)、レジストリ、臨床検査値、特定健診という分けかたで、その活用目的とともに調査結果を整理しています【図表1】。
リアルではないデータとは
リアルワールドデータを理解するには、当然ながら、その反対を理解することが有益です。広くみれば、実験的・管理的な環境で収集されたデータは、いずれもリアルではない、といえます。製薬企業の活動におきかえると、実験室でおこなわれる基礎研究のデータが含まれるでしょうし、狭義には、やはり臨床試験のデータが代表的といえるでしょう。
本稿では初学者向けのポイントとして、臨床試験がリアルではない理由を、押さえておきたいと思います。わかりやすいものとしては、1987年にジョンズ・ホプキンス医科大学のRogerが投稿した、臨床試験のリミテーションともいえる「FiveToos」(5)が有名です。
① Too Few:患者数が少ない
Phase 3まで進めばある程度大規模な患者集団を対象に実施される臨床試験ですが、それでも巻き込める患者の数はせいぜい数百人から数万人に留まります。
② Too Simple:試験デザインがシンプル
医薬品の投与方法は極めて単純であり、アドヒアランス不良や併薬の存在など、実際に起こり得るイレギュラーな医薬品使用については、その影響を除外できるようコントロールされています。
③ Too Median-age:高齢者・小児が含まれない
安全性の観点で不安のある世代は、検討や評価が劣後する、というものです。必然的にミドルエイジを中心とした試験集団になりがちであり、市販後の環境とは大きく異なるといえるでしょう。
④ Too Narrow:適応対象が限定的
こちらもいわずもがな、腎機能や肝機能の障害をもつ患者、妊産婦といった特殊背景にある患者などに関しては、安全性や倫理の観点から、試験に含まれることはありません。
⑤ Too Brief:評価する期間が短い
医薬品や疾患の種類によっては、一生涯をともにする治療も存在するなか、臨床試験でそのような検証をすることは非現実的です。したがって、長期投与の成績に関しては市販後の状況から評価されるのが一般的ですね。
以上の5つの視点を踏まえれば、逆に、前項に挙げたリアルワールドデータが、臨床試験のリミテーション を克服するソースになりうる、という意味も理解しやすいのではないでしょうか。
なお、当社のお客様とお話しているなかで「ゲノム情報はリアルワールドデータなのでしょうか?」というご質問をいただくことがあります。実際はどうでしょうか。先述のとおり定義は一律に決まったものがありません。よって私見にはなりますが、一般的にリアルワールドデータと呼称される中に、ゲノミクスやプロテオミクスといった、いわゆるオミックス情報が含まれることはほとんどないように思います。リアルワールドデータは、ときに“ビッグデータ”と認識が入り混じることもあります。その意味で、オミックス情報は医療ビッグデータのひとつである、という表現ならば間違いはありませんね。
リアルが求められる理由
ここまで、リアルワールドデータとは何か?リアルではないデータとは何か?について、お話してきました。本稿の最後のセクションとして、製薬企業にとってのリアルワールドデータの意義を確認しておきたいと思います。
図表1でも列挙されているとおり、製薬企業のバリューチェーンの各所で、さまざまなリアルワールドデータの活用目的が存在します。それらを、時間軸で分けたときに「脚の長いPDCA」と「脚の短いPDCA」が存在することが、おわかりいただけるでしょうか【図表2】。
① 脚の長いPDCA
主に、医薬品を世に送り出す諸活動を指しています。具体的には、創薬機会ともいえる臨床アンメットメディカルニーズの探索や、未知の効能・望まれる剤形などの理解にもとづき実現する既存品のLCM(Life Cycle Management)、あるいはあらたなシーズの事業性評価、知見デザインの最適化といったプロセスがこれに該当します。
脚の長いPDCAは、患者や生活者からみれば、新たな医薬品、使用しやすい医薬品へのアクセスが開通することを意味し、より良い治療を享受することに繋がります。数年単位で回さなければならないPDCAといえますが、成果をもたらした際の医療上のインパクトは非常に大きく、まさにリアルワールドデータの活用冥利に尽きるシーンではないでしょうか。
② 脚の短いPDCA
一方で、比較的小さな周期のPDCAも存在します。それは数か月単位、もしくは数日単位でおこなわれる活動であり、主に市販後の営業マーケティングや、メディカル部門による新たなエビデンスの創出や疾患研究、安全性監視による副作用のマネジメント、コンプライアンス状況の把握などが、これに該当します。
脚の短いPDCAを患者や生活者からみれば、医薬品や疾患に関する最新情報を入手することや、安全かつ効果的な治療を適正に享受することに繋がります。後続のトピックで触れたいと思いますが、リアルワールドデータの一部は、ときにタイムリーさを欠くものもあります。その意味では、近年続々と開発されている「モバイルデバイス」や「デジタルアプリケーション」を介して機動的に収集される各種リアルワールドデータが、この小さなPDCAの充実化に貢献する余地は非常に大きいものといえるでしょう。
まとめ
リアルワールドデータに関する画一的な定義は存在しない。コミュニケーションの際には、それが何を指しているのかを、明確にしながら理解・活用する意識が必要。
医薬品の主要なエビデンスである臨床試験の結果は、リアルではないデータの代表格。製薬関係者として、その理由と弊害をしっかりと理解した分析・活動をおこなうことが重要。
リアルワールドデータは、製薬企業において、脚の長い・脚の短いPDCAをもたらすものである。事業そのものが長い時間を要する業界ではあるものの、それらのPDCAを両輪で積み重ねることこそが、日々の医療の進歩に貢献していると言える
以上、連載第1回の本稿では、リアルワールドデータの総論として、定義やその意味合いについてご紹介してまいりました。次号、第2回では、本稿でも少しずつ触れた各種データソースについて、それぞれの概要や特徴を簡単にご説明したいと思います。それでは次回もお楽しみに!
[参考資料]
1) ICH Reflection on“ GCP Renovation”: Modernization of ICH E8 and Subsequent Renovation of ICH E6, January 2017
2) Framework for FDA’s Real-World Evidence Program, December 2018
3) Alison Cave et.al. Real-World Data for Regulatory Decision Making: Challenges and Possible Solutions for Europe. Clin Pharmacol Ther. 2019; 106(1):36-39
4) 製薬企業における RWDの活用促進に向けて, 日本製薬工業協会 医薬品評価委員会 臨床評価部会 タスクフォース2 部内資料 2020年4月
5) Rogers AS. Adverse drug events: identification and attribution. Drug Intelligence and Clinical Pharmacy.1987; 21: 915-920
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